その重なるところを、あなたは必死に探してきたんじゃない?

好きなことを仕事にする勇気なんかなかった。

東北で見たことを大切にしたいと言ったら親に叱られた。

そんなのはキャリアにならないと

都心の超高層ビルにキラキラのオフィスを構えるベンチャー企業の中に、大切なこととの接点をわずかに見つけた。

その小さな小さな接点を無理やり広げるみたいにエントリーシートを書いた。

ほとんどこじつけみたいだった。

新入社員研修の合間に会場を抜け出して、あぁここは私が居たい場所じゃないんだと泣いた。

泣きながら1年働いた。

1年しか持たなかった。

冬にはもう死にたくなっていた。

東北で見た大切なことを仕事にした。

経済的な豊かさより、利便性より、もっと大事なことがあるんじゃないかと

思い知らされた事故だった

自分の人生をかけてこの罪を償っていくしかないと思った。

燃える使命感と贖罪の念とともに、

ここには真実があるような気がした。

人間と海が、人間と土が触れるその接地面にこそ——いや接地面にしか——生きることの真実はないのではないか

そして密かに救われることを夢に見ていた。

ここに接し続ければ救われるんじゃないか

暴走した思考が死にたいと叫び出すことから。

使命感も贖罪の念も超えて、

私は夢中になった

大好きだった

真実がほとばしっている彼らの世界が

休みなんかいらなくて、給料なんかいらなくて

自分の全てを使ってそこにいた

大切な仕事をしていた。

胸を張れる得意なことも見つかった。

だけどしばらくして、

気付いたらまた死にたくなっていた。

その気持ちを振り払うために船に乗った。

激しい波に揺られながら、光る水面を見つめながら、

それでも死にたい気持ちが収まらなかった。

海や土が、すべてを解決してくれるわけではないのだと知った。

何度も失敗して、自分を見失って、

カウンセラーになろうと決めた。

私が人生の中で見つけた、最も大切なことだからだ。

学ぶことは楽しかった。

何度も心が震えた。

この大切なことを仕事にしたい

今度こそ、今度こそ自分の人生を生きるんだ。

なのに、また死にたくなっている自分に気がついた

ああしんどいな、なんでこんなに頑張んなくちゃいけないんだろ。人生ってしんどいな。

好きなことは仕事にするな、と人は言う。

好きと得意は違う、とか。

社会に貢献しようとか、社会課題の解決という言葉に、

胸を熱くすることもあれば、何かが犠牲にされていると感じることもあった。

好きなことを仕事にしている人は、そしてやっぱり特別に見えたりした。

経済や合理によって失われそうになっているものが大切、個人や時代を超え、より大きなものにつながることが大切。

その人にしか紡げない言葉がゆっくりと染み出してくる瞬間を待つのが得意、自分の中で沸き起こる感動を言葉で捕まえて冷凍保存しておくのが得意。

緑の中を歩くのが好き、風を感じるのが好き、濡れた布巾でテーブルを拭く朝が好き。

世の中にとって大切だと感じること、人々に貢献できると感じる得意なこと、そして理屈はないけど好きなこと。

その三者の重なるところを、あなたは必死に探してきたんじゃない?

私にはそう見えますよ。

そう言われてはっとした。

そうか。私は三者の重なるところを——そんな部分はほとんどないよう見えても、何度も打ちのめされながら必死に探してきたんだ。だってそれこそが自分らしく生きるということだから。その重なるところは絶対にある。1ミクロンしかないかもしれないけど、薄い花びらの重なりのような、本当に美しい部分が必ずある。