人を救いたいという気持ちについて

国境なき医師団になりたかった。学校に講演に来た医師に、震える手をあげて質問したら、「人を救うというモチベーションではやってません」と言われた。救ってやるという考え自体がおこがましいのだと言われた気がして恥ずかしくて泣いた。医者になりたかった。原因不明の体調不良で病院をたらい回しにされていたとき、「ダイエットなんてするからこうなるんです。女の子は昔のアイドルみたいにちょっとふっくらしてるぐらいが可愛いんだよ」と医者に笑われた。自分が憧れていたものがこんなにしょうもなかったのかと悔しかった。帰りの車で、「何が医は仁術だ!」と絶叫した。一時退院をした私と、臨床心理士を目指す姉は目も合わせなかった。大学院で一体何を学んでいるんだろう。カウンセラーなんて嘘っぱちだと思った。病院で知り合った摂食障害の友人を着信拒否にした。全てを差し出す覚悟もないのに、愛しているなんて言っちゃいけなかった。私はただの一人だって救うことができないんだと思った。

だのに結局、カウンセラーになる道を歩んでいる。

カウンセラーは人を救うことはできない。立ち上がるのはその人自身だ。じゃあこの気持ちは一体どこに追いやればいいんだろう。「人の役に立ちたい」という何度拭っても消えないこの気持ちは。「消えろ!」と念じたら寒気がした。生きていけない。だって、それは私の背骨だ。背骨に流れる髄液だ。

比叡山延暦寺の柱が放つ迫力に気圧された。宗教なんか信じない、前世なんか関係ない、科学で証明できないものは無いものだと思っていた。だけどあの柱の前で、すっかり圧倒されてしまった。何百年もの間、何千、何万もの手がここで合わされてきた。ふっくらとした子どもの手から干からびた老人の手まで。きらびやかに着飾った貴族の手から、今日食べるものもない乞食の手まで。当然だが、叶った願いもあれば叶わなかった願いもある。神や仏がいるかどうかはわからない。でも人が人のために祈ったことは紛れもない事実だ。名もある人も歴史に点一つ残らなかった人も、みな人生に希望をかけて祈ったことは事実だ。その想いの総量に鳥肌が立った。人が生きる、生きたいという気迫そのものに触れた気がした。

翌朝から、私は毎朝仏壇に手を合わせるおばあちゃんの隣に座った。隣に座って手を合わせた。この皺くちゃで真っ黒な手は延暦寺の柱と同じだ。おばあちゃんの隣で手を合わせて、その手に感謝した。その手で私は一体、何万回祈られていたんだろう。

背骨みたいな私の気持ちの役割はもしかしたら、祈ることなのかもしれない。救うことでもなく、願うことでもなく。ただ、あなたがあなたの人生を生きられますように、と。