義務や使命を知る前のあなた

震災と、お父さんとの死別を経験する前の自分を思い出してみて。18歳ぐらいの自分。

は……と彼女は息を飲む。

私、それ以前って振り返ったことがなかったかもしれない。ちょうどこないだの3.11の時も自分の過去を振り返ってたんですけど、いつも振り返るのは震災後で。震災と父が亡くなってから自分が生まれたみたいな気でいました……。

そっかそっか。その前の自分はどこで何してたんだろう。何が好きで、どんなことに惹かれて、これからの人生がどうなっていくと思ってたんだろう。

舞台とか、キラキラしたものが好きで、舞台芸術の分野で働きたいと思ってた。綺麗なものを作りたいと思ってた。

それまでの人生を振り返って、どんな道を歩いてきたような感じがする?

すごく舗装された綺麗な道を歩いてきた気がする。道でもなかったのかもしれない。真っ白で真っ平らな空間を、ローラースケートで滑るみたいに進んできた。道がないから、右に行っても左に行ってもよかったし、そこで踊ったりしてた。

時間を進めてみましょう。震災があって、お父さんが亡くなって、震災後、東北で色んな人たちと出会って、学んで。この12年間はそれまでとは全く違う道を歩んできたのかもしれない。ね、この12年ってどんな道だったんだろう。

土の道。土の道を裸足で歩いてきた。晴れたら歩きやすいけど、雨が降ったら歩きづらい。デコボコしていたり、穴も空いていてたりした。道が岩で塞がれてたこともあったけど、一緒にそれをどかしてくれた人がいた。そういう人たちと出会いながら歩いてきた。

いいね。じゃあ生まれてからこれまで歩いてきた道をずーっと見渡してみて。真っ白で真っ平らな空間を踊るように進む人だったあなたが、勇気を出して靴を脱いで、自分の足で、一歩ずつこの道を歩いてきたんだね。これからはこの二つの道を歩いてきた歴史が、素晴らしく融合した道が始まるよ。今、両足をしっかり床につけてみて。足の裏の感触を感じて。ね、この足は12年間よく頑張ってきたね。でこぼこの、歩きづらい道を、その感触をこの足の裏でつかまえながら歩いてきたね。この足の裏に聞いてみてほしいんだけど、これからはどんな道を歩きたいって言ってるのかな。レンガの道?石畳の道?この足の裏が感じたがってるのはなんだろう?

レンガも、石畳も、砂の道も……。いろんな道を歩いてみたい。

そうか、そうか。いろんな道を感じたいんだね。

今までは、震災で出会ってきた人たちに恩返しをしたいって思ってきた12年間だったのかもしれない。私は被災地に住んでない分、ここで教えてもらったことを体現できるようにしなくちゃって思ってた。でももうそれが終わろうとしてるのかもしれない。

恩返ししたい人って例えば誰?

Iさん。

じゃあIさんになりきってみて。Iさんはどこでどんなことしてるんだっけ、どんなことやったり言ったりしてるんだろう。Iさんが大事にしてることってなんだろう。ね、Iさん、あの子は「Iさんに恩返ししたい」って言ってるんだけど、なんて言ってあげたい?

なんだ!お前、そんなこと考えてたのかー!お前がお前らしく楽しく幸せに生きていけばいいんだよ。

画面の向こうで彼女は泣いていた。悲しみの涙ではない、綺麗な涙だった。表情は明るく、どことなく柔らかく見えた。

セッションが終わって、彼女から丁寧なメッセージが届く。「これからまだ土の道が続くのだとしても、ここからは花を植えるような気持ちで進めたらいいなと思いました」。

そっか、この12年間は花を愛でる余裕もなかったかもしれないもんね。その花があなたを、そしてあなたの後にこの道を歩く誰かを、その美しさで喜ばせていくんでしょうね。

彼女にとっての震災やお父さんとの死別が、私にとってはうつ病だったかもしれない。耐えがたい喪失やそこから立ち上がる経験は、生まれ直したかのようにガラリと私たちの人生を変えてしまう。それは人生でとても大事なことや、自分の命の意味、物事の本質、この世に残された人間の義務、果たすべき使命を教えてくれる。まるでその前の人生が取るに足らないものだったとさえ思えてしまう。だけど、忘れないでいたい。その前にも私たちは確かに生きていた。例えばキラキラしたものに心動かされていた。例えば軽快にボケて笑いをとることが好きだった。例えば誰かの温もりのなかで無防備に手足を伸ばしていた。義務や使命を知る前の、純真無垢なあの子が私たちの中で今でも生きている。

(この文章は本人の了承を得て投稿しています)